オープンガーデンに思うこと

2007年6月30日(9月15日ちょっぴり修正)

オープン・ガーデンなんて真っ平?

 オープン・ガーデンについては前々から関心があったのですが、いくつかの理由から「見に行くのは良いけれど見せるのはイヤ」と思っておりました。特にその思いが強くなったのは昨年のこと。とあるお宅で、「一日二日で訪問者が100人とか200人」(正確な人数は忘れました)と耳にしたためです。こりゃたまらん、と思いました。お庭の主としては、一人でも多くの同好の人に見てもらいたい、という考えがあるかも知れません。また、中には訪問者の数を競い、それを誇る人もいると思います。それはそれで個人の自由なのですが、私が求めているものとは何か違うように感じました。私としては折角、同じ趣味の人たちと触れ合う機会なのだから、花や庭について、情報や知識を交換することを期待している訳です。そのつもりで訪ねるものだから、どんな素敵なお庭でも、家の方が庭に出てきてくださらないとがっかりです。勿論、公開中、ずっと庭に出ているというのはかなりの負担ですし、そのような負担を強いてまでのオープン・ガーデンというのは何かおかしい、と思います。でも、時々は庭の様子を覗きにきても良いのではない?  幾つか訪れた中には全く家人の気配がないお庭がありました。急用が出来て出かけてしまったのかしら。それとも、人と接するのがいやで、カーテンを引いた屋内でビデオ鑑賞でもしているのかも。それって何か変。第一、大事なお庭を無人状態にして心配じゃないのですか? こういうことを言うのはマズイかもしれませんが、前々からオープン・ガーデンをしている叔母一家の話。「大事なものには注意していないと、庭の小物がなくなったり、苗が消えていたりということもたまにはあるのよ」。まあ、かの庭の場合は雑誌が写真撮りに来たりするくらい知られている庭だから例外である、と思いたい。それにせっかくオープン・ガーデンに来て下さる善良なる皆さんに対して、猜疑の目を向けるというのは確かにいやな話ではあります。かと言って、自分の知らないところで庭に大勢の人が入って、その結果何か紛失していたら(紛失に限らず、大事な植物が踏みつぶされていたり、とか。このほうが確率は多そうです)それは管理者である庭主の自己責任でしょう。「(見ていない時に)こんなイヤなことがあったからもうオープン・ガーデンはこりごり」となるのではないでしょうか。そのようなことがない為にも、庭主にはしっかりと(でもなくテキトーでも結構ですので)庭を見ていて頂きたいと思うのです。

目指す庭に向かう途中偶然見かけた眺め。
大昔住んでいた家の目と鼻の先。なつかしー。左の白薔薇も当時からあったように思う。
早良区Iさんの庭。


オープン・ガーデンをやってみて

 そのような訳で、前々から関心があったものの「訪問者100人200人なんてタマラン」と思い、去年のお庭訪問以来、自分でやりたいとの気持ちはしぼんでおりました。それが急遽実行することとなったのは、全くの偶然。町内のYさん、Kさんと知り合い、計画中のオープン・ガーデンへのお誘いを頂いたからです。その時すでに5軒の参加が内定していて一番の新参者の私で6軒目。第1回目ではあるし、規模的にもちょうど良いのでは、ということ。気になる広報活動?に関しては、ご近所のお店にポスターをお願いしたり、チラシを作成してお友達に配ったり、とあくまでも「友達の友達」レベルの宣伝に留めました。広報紙などへの売り込み?は意識して避けました。庭や植物にさして関心がないのに、レジャーの一種として訪ねてくるかもしれない「浮動票」を避ける為です。その結果、それぞれの庭で多少のばらつきはありましたが、平均して20数人程度という規模に落ち着きました。この程度が個人で対処しうる適正な人数ではないでしょうか。

ご近所の写真。ふとした街角にこんな素敵な眺めが。(この写真は今回のオープン・ガーデンとは関係ありません。)


足を伸ばすだけの価値はある?

 前述のお庭の訪問者の中には、相当遠くから高速経由で訪ねてきたという方もあったりして、愛好家の熱意に驚きました。しかし、実際の話、訪問先はあくまでも「普通の個人のお庭」です。それだけの投資(時間、経費、そして熱意)に見合うだけのものは得られるでしょうか。あくまでも人それぞれの価値観なので一概には言えないのですが、私だったら、たったひとつの個人規模の庭を見るだけのために、遠くまで足を運ぶことはしないと思います。中には、はるばる見に行く価値がある素晴らしいお庭があることは確かです。しかし、いつもそうだとは限らないのです。オープン・ガーデンがますます普及するにつれ、「ごく普通の個人の庭」が公開されることも珍しくなくなってきました。「わざわざ遠くから見に来たのにこれかい」と言うようなお庭は今後増え続けることでしょう。(うちもそのレベルだけれど。)その時には言いたい。「遠くまで見に行くアナタが悪い」。オープン・ガーデンはあくまでも個人の庭、個人の趣味の場であり、憩いの場(というより道楽の場?)なのです。ご近所にあるものを気軽に見る、見せる、が本来の姿なのです。
 イギリスのイエロー・ブック(オープン・ガーデンの公式ガイドブック)の掲載基準には、「掲載の為の審査があり、何十分(正確な時間は忘れましたが、20分とか40分とかだったかしら?)鑑賞に堪えるお庭」だそうです。その規約は最近日本の趣味者の間でも知られるようになってきたようですが、どうも私にはその言葉が過大に評価されているように思えてなりません。私自身、掲載された庭を何度か訪ねたことがあります。中には本当に素晴らしい庭もあれば、てんでショボイ庭もありました。「あんまりエラソーなこと言うんじゃないよ」と言うのが私の本音であります。あくまでも趣味の世界ではありませんか。見せる為の庭、審査の為の庭、では本末転倒でしょう?


公開する側のメリット

 一番のメリットは、片付けようという気持ちがわいてくることです。庭仕事は終着点がないエンドレスの作業の繰り返し故、とかく漫然としたものになりがち。今日できることを明日しよう、とか「暑いから」「寒いから」「天気が悪いから」と先延ばししてきた(私だけかも)作業を、一定の日時に向けて片付ける良い切っ掛けを作ってくれます。これは私が今気づいたこと。「オープン・ガーデンをすると大ゴミが片付く」。ホントですよ。
 その他、新しいお友達(またはライバル)ができることは言うまでもありません。まあ、中には敵を作る人もいるかも知れませんが。(私も偏屈なのでその方が多いかもなー。)

市内の花友達Hさんの庭。来年はぜひと交渉中。 今回の主催Kさんの庭(左)とYさんの庭。


オープン・ガーデンは町内規模で

 前述しましたが、今回のオープン・ガーデンは町内の6軒で開きました。福岡にも規模の大きいオープン・ガーデンの会がありますが、そちらは組織が大きい為、広範囲に庭が散らばっていて、当然ながら効率よく訪ねようとするのは大変です。同じ町内の複数の庭が日時を揃えて公開するのであれば、訪問者も、公開する方もある程度気楽です。また、ひとつの庭が期待通りでなかったとしても、幾つかの庭をまとめて見られるというのはなかなかのメリットです。見る方、見せる方、どちらの立場であろうと、町単位のオープン・ガーデンには色々な長所があると思います。


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